facebook 東京和紙 株式会社 - 東京都が選定した名産品や特産品を紹介【BuyTOKYO】

東京和紙 株式会社

代表取締役 篠田佳穂氏

メイン写真

2度目の応募で、Buy TOKYO推進プロジェクトの支援が決定。
「平成ASAKUSA和紙バッグ」が本格始動することに

 もともと、和紙を使った商品を制作・販売していた篠田佳穂さん。2016年頃、「日本製の和紙はたくさんあるけど、メイド・イン・トーキョーはないの?」と、複数の問い合わせを受けたそう。これが、東京和紙誕生のきっかけとなりました。
さっそく取り組みはじめた篠田さんは、2016年のうちに、東京和紙株式会社の前進となる一般社団法人を立ち上げます。
「実は2017年にも、Buy TOKYO推進プロジェクトに応募したんです。採択はされなかったものの、知人で過去に採択された事業者さまから『事業でやりたいことを、もっとはっきり打ち出しては?』とアドバイスを受ける契機となりました」
 そして2018年、東京産の原料を中心に作った「平成ASAKUSA和紙バッグ」で、Buy TOKYO推進プロジェクトに再び応募。
「浅草神社のお役目が終わったおみくじを使い、新たな和紙に。『平成ASAKUSA和紙バッグ』は、その和紙で作ったバッグです。再生紙である“浅草紙“は、かつて東京の一大産業でした。すでに消滅していたこの伝統に新たなエッセンスを加えて復活させ、オリジナルのバッグに仕上げたわけです」
 「平成ASAKUSA和紙バッグ」が採択されると、より本腰を入れて活動するため、一般社団法人を株式会社化。世界各地の展示会を巡る日々がスタートします。

  • 代表取締役 篠田佳穂氏
  • 商品の写真

2年間で5カ国の都市へ。パリでの委託販売も開始

 この2年で、イギリスのロンドン、フランスのパリ、タイのバンコク、アラブのアブダビ、ドイツのフランクフルトと5つの都市に出向くことになった篠田さん。出展料や渡航費などはBuy TOKYO推進プロジェクトの経費補助を活用するとともに、ハンズオン支援では、アドバイザーから情報をもらうことも多々ありました。
「経済産業省の取り組みで、パリ市内のショールームに『平成ASAKUSA和紙バッグ』を置いてもらっています。期間は、2020年3月までの1年間。このショールームの情報も、アドバイザー経由で知ることができました」
 今回の取材直後には、ドイツ・フランクフルトの展示会も控えています。
「ほかの4都市はBtoCの展示会でしたが、ドイツは初のBtoBの展示会。オーダーシートなど、はじめて作る書類が多かったですね。何度も推敲を繰り返して完成させました」
この2年間は、篠田さんにとって初の挑戦を積み重ね。ときにはハンズオン支援を活用しつつ、努力と調査、そして行動を重ねることで、海外での販路と活躍の場を広げてきたのです。

和紙の歴史・製造法も伝えたい。
海外でのワークショップ開催で、その願いを形に!

 海外では展示会に商品を並べるほか、ワークショップやデモンストレーションも実施してきました。これは、以前から篠田さんが希望していたこと。
「和紙を売るだけの店は、ほかにもある。うちは、海外でワークショップをやる第1号になりたかったんです。実現できているのは、うれしいですね」
 「海外は、国内よりエコやナチュラルへの関心が高い」そうで、手すき和紙のワークショップでは、和紙は楮(こうぞ)という植物が原料であること、浅草紙が歴史ある再生紙であることなどが、注目を集めたと言います。
「パリのワークショップは、募集人数以上の応募があり、見学者が出るほどの大盛況に。『植物の繊維だけで、こんなに丈夫なの? アメージング!』という感想をいただきました。

  • 店舗前で撮影
  • 商品の写真3
  • 商品の写真4
  • 作業中の写真

世界各地の反響・傾向を探れたのが、この2年間の成果

 東京和紙の立ち上げ当初から、海外で展開したいと考えていた篠田さんですが、様々な国に行くことで、はじめてわかったこともたくさんありました。
「海外では、取り出し口にジッパーやボタンなどがついていないバッグは好まれません。すぐに中身を取り出せてしまうと、スリの心配があるんです」
さらに「同じ国・地域でも、都市によってファッションの好み・文化に差がある」と実感したそうです。
「アラブ内でも、ドバイとアブダビでは人々の服装がかなり違います。アブダビは、ドバイよりも宗教色が濃く、アバヤと呼ばれる黒がメインの民族衣装を身につける女性が多い。そんなアバヤと合わせる関係上、アブダビの女性には黒いバッグが売れ筋でした」
 このリアルな体験こそが、未来へつながる経験となったとか……。
「Buy TOKYO推進プロジェクトに採択されたことで、マーケットとして可能性のある国々のリアルな反応が見られた。あの国なら、こんなデザインがウケそうだと予測できるようになりました。これが、2年間の最大の成果だったと思います」